ゲームを売ろうかどうか迷っている
去年の4月初任給でPS4を買った。ソフトはパワプロ2016。それからというものの飲み会がなければ金曜日の夜にゲームをすることが気晴らしになっていた。お酒を飲まない自分にとって気晴らしはネットサーフィンやゲームくらいしかないのだ。
今年の年始に、リアルをもっと充実させようと決意したものの相変わらず暇だとPS4を起動してゲームをしてしまう。一時期信長の野望にハマっていたが、ふとした瞬間に俺何やってんだろという虚無感に襲われて新宿のブックオフで4000円で売った。今パワプロで栄冠ナインという中毒性のあるモードをやっていて同じような虚無感に襲われている。俺は何をやっているのだろうと。何度ゲームの世界で天下統一をしても、自分の給料や社会的地位は何も変わらないのだ。そうこうしている間にも時間は過ぎて言ってあっという間に25歳になってしまった。もともとドラクエの新作をやりたくてPS4を買ったのだが、発売されるまでの待ち時間が長すぎる。ドラクエのつなぎとして一体どれだけの時間を費やしたと思っているんだ。早くしてくれ。
パワプロは売ろう。ゲームは孤独を埋めるのに役立ってくれるが、代償が大きすぎる。
栄冠ナインとかいう最強の時間浪費ゲー
— パブロンさんちのメイドラゴン (@jellyfish913mc) 2017年4月1日
そういえば学生時代は音楽を一日中聞いていた。音楽を聞いて日常の隙間を埋めて正気を保っていた。忙しい日々に追われいつのまにか音楽から遠ざかっていたが、そうだ音楽を聴こう。音楽なら、聴きながら家事だって、電車通勤だって、妄想だってできる。ゲームよりはマシだ。
しかし、人間というものは、日常の隙間を埋めなければ狂ってしまう。それが酒なのかギャンブルなのか恋愛なのかゲームなのかSNSなのかは人それぞれなのだが・・。
異動の時期とユダヤ教と
3月も半ば。異動の時期になりました。私の所属する係の中からも、上司を含め3人の方が異動になりました。一年目であたふたしている自分にたくさんのアドバイスをくれた先輩方がいなくなってしまい、なんだか悲しいような気がします。それと同時に、2年目になるのだから、一層気合いをいれて頑張らねばと気を引き締めているところです。
社会人生活は割と充実しています。社会不適合者の自負があったのでサラリーマン生活に馴染めるのか心配していましたが、どうやら今の仕事は自分にあっているようです。もちろん大変なことや辛いこともありますが同じくらいやりがいや達成感を感じることも多いです。生きていくというのは働くということなのだなあと思います。学生時代どこにも所属がなくフラフラしていた頃は精神的にもどこか不安定でした。社会の中に居場所を持っていないことの辛さは相当なものです。結果として大学院を中退して、就職して良かったです。
職場は私に存在意義を与えてくれる場所です。学生時代は働いたこともないくせに社畜だの何だの言ってわめき散らしていましたが、結局生きるとは働くということなのですね。そういえば、両親に掃除ロボットのルンバをプレゼントしました。喜んでくれているようで何より。
私はこれからどんな人生を歩んでいくのでしょうか。将来のことなど誰にもわかりません。できることはただ目の前に横たわっている雑事を黙々とこなすことだけです。
話はだいぶ変わりますが、最近はユダヤ教に関心があります。愛用している楽天BOOK OFFで大量にユダヤに関する書籍を安価で買い込みました。今夜はオードリーのラジオを聴きつつ徹夜で消化していこうと思っています。
明日は日曜日なので「安息日」にします。家事も、仕事も、何もしません。ユダヤ教徒の人も週に一度は何もしない日を作っているそうです。「安息日」があるからこそ、毎日懸命に働ける。ユダヤ教の教えはサラリーマンの私にも理解しやすいです。入信するつもりはありませんが、古代から培われてきた思索の果実を仏教とユダヤ教から少しばかり分けてもらいながら生活をしていこうと考えています。
だいぶキャラクター増えた。
70年代80年代っていいよなあ。ゆとりが男はつらいよとロッキーを見た。
私は普段映画を見るような人間ではないのですが、Huluに入会をしたので最近は邦画をよく見ます。山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズや『釣りバカ日誌』、今日は『ロッキー』を見ました。いずれも40年ほど前の作品なのですが、とてもいい雰囲気の映画だなあと思って見ておりました。70年代、80年代には今のようにスマホどころかケータイもありません。誰かと待ち合わせをするだけでも大変だったのではないでしょうか。なんだかいいですね、そんな些細なことでドキドキするって。好きな人の家に電話をかけると親が出てきて気まずかったりしたと言う話をよく聞きますよね。今やLINEでささっと連絡を取り合える時代ですから、無事に待ち合わせ場所に現れるかなあ・・なんて心配する必要はありません。
昭和時代というのは、おおらかな時代だと思います。寅さんが現代に蘇ったら、2chでやれアスペだの、発達障害だの叩かれたことでしょう。確かに寅さんにはその気があります。ところが当時はそのようなレッテル貼りというものは存在しませんから、変わっているけれど、人情味のある人だから・・。と社会に受け入れてもらえる余地があったのかもしれません。高度成長期でわりかし人々に余裕があったのも幸いしていたのかもしれないですね。寅さんのような人が、現代のドラマ作品で主人公をやるようなことはもうないのではないでしょうか。だって月9ドラマとかイケメンしか出てこないでしょ。(ほとんど見ないからイメージで語ってるけど)
科学技術は発達しましたが、そのぶん人々の生活は忙しくなり、余裕がなくなってきたように感じます。これはあくまで主観的な意見ですが同じように感じている人も多いと思います。私も極度の効率厨でしたが最近疲れてきました。合理性や効率を追い求めて一体どこに行こうとしているのか自分でもわかりません。
『ロッキー』の舞台は70年代のアメリカですが、当時のアメリカには今とは違って夢があります。挑戦さえすれば誰にでもチャンスがある。現実はさておき、そういう国だと思われていたのが当時のアメリカです。このようなセリフは作中に幾度となく登場します。この『ロッキー』という作品も、主人公役のシルベスタ・スタローンが自分で脚本を持ち込みし、B級映画的な位置付けから徐々に火がついてヒットした作品なのだそうです。まさにアメリカンドリームを体現している作品だと言えるでしょう。
翻って今のアメリカは、一部のエスタブリッシュメントが富を独占し、階級が固定化して流動性があまりない社会になっているように思われます。富裕層と貧困層の差は、深刻なものになっているようです。もしかすると大衆のこのような現状に対する鬱積がトランプ大統領を生み出す原動力になったのかもしれません。
本当にスマホを持って人々は幸福になっているのでしょうか。情報の海に溺れて自分を見失っているようにしか見えません。少なくとも私はそうです。確かに生活は便利になりました。しかし、それと同時並行で「人間にとって大事なもの」を失っているような気がするのです。
物質主義が合わねーんだったら出家でもしろやwと言われそうですが、ちょっと待って。私には信じている宗教もないのです。まさに宙ぶらりん。その上個人主義を押し付けられて、所属がどこにもない状態。
ですが、これが我々日本の若者のごくありふれた姿であると思います。
あー明日仕事だりーな。クレーマーうぜえ。
ストレス発散のためにもボクシングやりたいんす。
ボクシング始めたいな。
— せろ人人 (@sero_to_ninnin) 2017年3月12日
<週末の投資信託の成績>
評価額合計 :112,084円
評価損益合計:+7,084円
完全な選択肢などないのであみだくじで予定決めんのもアリじゃね?
今日1日やりたいことを書き出す。順番が決まらない場合は、あみだくじに任せてもいいのかもしれない。何から始めようとあれこれ悩むのは勿体無い。
平成29年3月11日0時49分。神が私に下した結論は
「シャワーを浴びなさい」
平成29年3月11日13時4分。風呂から上がった私に対して神が下した結論は
「アニメを見なさい」
はいっ!オルフェンズかけものフレンズを見ますっ!!
タカキが鉄華団を辞めた・・。
平成29年3月11日14時2分。神が私に下した結論は
「マンガを読みなさい」
銀魂を読みました。
平成29年3月11日15時11分、途中東日本大震災6年目を挟んで、神が私に下した結論は
「読書しなさい」
ウェルベックの小説がどこかに言ってしまったので、先週買った『服を着るならこんな風に』を読んだ。
さて、最後に残ったカードは
「掃除しなさい」
お部屋を綺麗にします。
日曜の朝...
おはようございます。平成29年3月6日日曜日天気は晴れ。
昨日は小説を読んでいたらいつのまにか寝てしまっていたのです。朝から中野のあおい書房に行って、ウェルベックの『服従』、週間スピリッツ、『服を着るならこんな風に』『カジノと日本経済』homme CLUEL を買いました。
同級生の女の子からは返事がありました。LINEを交換することもできました。来月頭に花見をするみたいなので、参加しようと思っています。高校を卒業をして以来会っていない人もいるので服装や髪型をしっかり整えたいです。先日定期預金が解約され、銀行口座に数十万円が入金されていました。『銘柄乗り換え株式投資法』を読んだ後、私はこのお金で株を買うつもりでしたが、やめます。服を買います。これだけあれば、ある程度はおしゃれになれるはずです。2017年は「リアル全振り」が目標ですので、優先順位としては当然です。なんか服を買うのってRPGで言うところの新しい装備を買うのと似てますよね。ゴールド貯めて新しい装備を買って新たな敵に備える。リアルと同じじゃねーかw
今日は『服を着るならこんな風に』を全巻買った後に新宿あたりに買い物に行ってきます。小説も読みます。料理も作ります(最近またご飯にシチューをぶっかけたりするだけのズボラ飯になってきた)。洗濯も掃除もします。絵の練習もします。
今日はよく晴れて暖かそうです。春の気配がします。また職場には新人が来ます。私は職場の中で「先輩」になるのですね。
11時半には寝ます。それまでフル回転で良い日曜日を
<週末の投資信託の成績>
評価額合計 :111,851円
評価損益合計:+6,851円
初ピカチュウ。でも逃げられた・・。
自分語り①
ネットサーフィン引退する?
15歳でケータイを持ち、ネットを知り、ネット歴は10年になる。10代の頃は主にエッチな情報を得るためのツールとして、それに飽きてからはツイッターや2chまとめ、facebook、はてなブックマークにはまって情報の海にどっぷり浸かって来た。
10年来の趣味、ネットサーフィンだが、もうここらで引退しようと思う。
全ては無意味だった。僕の人生には不必要な情報ばかりだった。
ネット上では常に火の手が上がっていて、罵詈雑言、不快な煽りが飛び交っている。鬱陶しい。もう他人が何をやろうとどうでも良いのだ。自分の身の回りの世界が平穏であればそれで良いのだ。これが大人になるということなのかもしれない。ネット上の見ず知らずの他人と論争をして何になる。怒って、悲しんで、嫉妬して何になる。ネットで得た知識の中で自分の人生に何か役立ったものがあっただろうか。何もない。自信を持って言える。
そもそもTwitterなんて勝者総取りで、我々弱者が呟いても1円にもならない。影響力のある人間の宣伝を無料で行う養分、それが私だ。なんだか全てがバカらしくなって来た。特技のない奴はネットなんてやらないほうがいい。養分になるのが関の山さ。
10代の頃に燃えた弱者救済の信念も今となっては阿呆らしい。弱者になるのにはそれなりの理由がある。これだけ自分の地位を変動させるだけの情報が溢れている現代において、弱者であることに甘んじているのは、怠慢だと言わざるを得ない。もちろん様々なケースがあるし、一般化することはできないが、少なくとも自分の生活圏を見渡すとこのような結論になる。社会人になってからの実感だ。意志さえあれば人は”それなり”にはなれる、というのが最近の私の持論。
学生時代は一晩眠らずにネットを彷徨うこともあった。知らないことだらけで、ワクワクしながら、それこそ多種多様なジャンルの情報のシャワーを浴びた。
その結果できたのが注意力散漫でなんの特技もない25歳の男だったわけだ。
本当に必要なものはそんなところにはない、これに気づくまで10年かかった。だいぶ回り道をしたが、気づくことがだけで良しとしよう。知識を得たいなら、本を読もう。人と直接話そう。薄い表面上の知識だけ身につけた人間なんてどこにも需要ないよ。これからの世の中専門性が必要だよ。そして専門性を身につけるのにインターネットは適さない。
虚しさを感じる2017年の冬、明日、有給でお仕事は休み。イエイ。