下克上日記

雑魚リーマンの愚痴

ネットサーフィン引退する?

 15歳でケータイを持ち、ネットを知り、ネット歴は10年になる。10代の頃は主にエッチな情報を得るためのツールとして、それに飽きてからはツイッターや2chまとめ、facebookはてなブックマークにはまって情報の海にどっぷり浸かって来た。

10年来の趣味、ネットサーフィンだが、もうここらで引退しようと思う。

全ては無意味だった。僕の人生には不必要な情報ばかりだった。

 ネット上では常に火の手が上がっていて、罵詈雑言、不快な煽りが飛び交っている。鬱陶しい。もう他人が何をやろうとどうでも良いのだ。自分の身の回りの世界が平穏であればそれで良いのだ。これが大人になるということなのかもしれない。ネット上の見ず知らずの他人と論争をして何になる。怒って、悲しんで、嫉妬して何になる。ネットで得た知識の中で自分の人生に何か役立ったものがあっただろうか。何もない。自信を持って言える。

 そもそもTwitterなんて勝者総取りで、我々弱者が呟いても1円にもならない。影響力のある人間の宣伝を無料で行う養分、それが私だ。なんだか全てがバカらしくなって来た。特技のない奴はネットなんてやらないほうがいい。養分になるのが関の山さ。

 

10代の頃に燃えた弱者救済の信念も今となっては阿呆らしい。弱者になるのにはそれなりの理由がある。これだけ自分の地位を変動させるだけの情報が溢れている現代において、弱者であることに甘んじているのは、怠慢だと言わざるを得ない。もちろん様々なケースがあるし、一般化することはできないが、少なくとも自分の生活圏を見渡すとこのような結論になる。社会人になってからの実感だ。意志さえあれば人は”それなり”にはなれる、というのが最近の私の持論。

  学生時代は一晩眠らずにネットを彷徨うこともあった。知らないことだらけで、ワクワクしながら、それこそ多種多様なジャンルの情報のシャワーを浴びた。

その結果できたのが注意力散漫でなんの特技もない25歳の男だったわけだ。

 

本当に必要なものはそんなところにはない、これに気づくまで10年かかった。だいぶ回り道をしたが、気づくことがだけで良しとしよう。知識を得たいなら、本を読もう。人と直接話そう。薄い表面上の知識だけ身につけた人間なんてどこにも需要ないよ。これからの世の中専門性が必要だよ。そして専門性を身につけるのにインターネットは適さない。

 

虚しさを感じる2017年の冬、明日、有給でお仕事は休み。イエイ。