下克上日記

雑魚リーマンの愚痴

もう10月なんやって。つーか寒っ。

 すんげー久しぶりにはてなブックマークを読んでたら、2年前に交流のあったブロガーさんのブログを見つけて久しぶりに読みふけっていました。2年前と言ったら私はまだ学生でしたね。思い出すだけで叫びたくなるほどの惨めな学生時代だったので、懐かしく思う一方で、苦々しくもあり。途中から胃液が逆流してくるようなそんな気持ちになりました。私はワナビーでした。何者かになりたかったのです。しかし、結局何者にもなれませんでした。普通に学校を出てサラリーマンになりました。25歳になりました。今では社会の歯車の一部として東京での一人暮らしに居心地の良さすら感じています。あんなに尖っていた私が社会に揉まれ、角が取れて、なんとも弱々しい草食動物のような姿になってしまいました。ある人から見れば、成長したり頼もしくなったように見えるそうです。でも僕は今の自分に何ともいえない違和感を感じています。以前の僕はもっと不安定で、劣等感にまみれ、地を這いずり廻るようにして生きていました。ところが今びっくりするほどに生活が安定しています。何だかすっかり変わってしまった。嬉しいやら、悲しいやら。

 私は社交不安障害でした。去年メンタルクリニックでそのような診断を受けました。人の目が極端に怖い、人前に出れない、私が長年抱えていた悩みはパキシルという薬を飲むことで一気に吹っ飛びました。結局僕の全ての悩みは脳内の物質が悪さをすることで生じていたものだったのです。それからというものの、仕事も人間関係も順調に行き始めました。それと同時に、どうしてもっとはやく病気に気がつかなかったのだろうと後悔をしました。10代、20代前半を棒に振った代償はあまりにも大きい。しかし、同時に過去を振り返っても仕方がない。変えることができるのは「今ここ」だけだ!と考えられる心の余裕が生まれていることも事実です。

 人間というものは自分ではどうしようもない環境や運命の巡り合わせに右往左往して生きているようなものです。自分の力だけでなんとかなるほど人生は甘くありません。成功なんてただ単に運が良いか悪かだけの差です。だから私は自分の経験上、つまづいている誰かに寄り添えるような人間でありたい。近年ネット上で跳梁跋扈する失敗は自己責任だと、オーバーキルをする連中には絶対になりたくありません。

 2年も経つと人間は変わるものですね。こういう出会いがあるからインターネットはやめられない。明日も仕事だ。でも、これでいい。

 

PS:24回払いでiMacを買いましたw 使いやすいです。パソコンライフはかどってます。